2011年8月18日木曜日

特捜検事ノート 河合信太郎


著者は元東京地検特捜部長で、本書は戦後の汚職事件を数多く手がけた経験に基づき捜査のあり方を綴っている。繰り返し述べているポイントは以下の3点である。

1、人に聞くより物を見よ
自白を求めることではなく証拠の収集と検討が第一でなければならない点を本書では何度も強調されている。証拠の詳細検討を行わずに自白を取ることを中心とした捜査は科学的・合理的なものではなく上滑りになりやすい点や、被疑者が犯罪事実を認めているという安心感から究明が不徹底となる点も強調している。

2、 不偏不党厳正公平な検察権の行使
「検察における不偏不党とは、検察権の行使は常に一党一派に偏することなく厳正中立であって、いささかもそれが疑われるようなことがあってはならない」
「これは国のためになる、これは国のためにならないだろうというようなことを狭い視野で政治的な配慮をするということは、検察の邪道である」

3、社会正義を実現する気概
「検察の問題は、つねに社会的に生命を奪うという厳粛な、重大な問題を議論するのだから、それを担当する主任検事も、これを決済する決裁官も、情熱を注ぎ込んで上滑りの報告、決裁ではなく、お互いに全身全霊を打ち込んで事件の内容と取り組むという心構えが欲しい」
「人を調べ、罪を懺悔させるというからには、取調官自身が、まず身を修め、誰の前に出ても犯罪に関する限り、その人を懺悔させ頭を下げさせるという確固たる信念を持つようにならなければならない」

本書を一読して思ったのは、著者が考えるあり得べき捜査を行っていれば、特捜検察が今のように批判されることはなかっただろうということだ。郵便不正事件以降、特捜検察は厳しい批判に晒されて、その社会的信頼は低下している。特捜検察への権限の集中、恣意的な国策捜査、検察の考えるストーリーへの強引な当てはめ、経済実態への理解不足、マスコミとの関係などが現在批判されているが、これらはいずれも本書が20年以上前に指摘していたものと重なる。

最近は特捜検察解体論を目にする機会も多いが、捜査機関としての能力低下が根本的な原因と考えると、若干違和感を感じる。結局のところ組織の質は構成する個々の人間の質で大半が決まる。だから、より良い社会のためにどのような制度がベストなのかという議論と同じくらい、その運用をどのように担保するのかといった観点は重要だ。20年以上前の先人の理念が現在に受け継がれていないことに対する批判がもっとあっても良いのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿